フランス篇

【モン・サン・ミシェル】いざモン・サン・ミシェルへ!

投稿日:2018年6月11日 更新日:

8日、この日はモンサンミッシェルへ向かう日。
晴れてればいいなーくらいの気持ちて出かけたRii2だったがこの先で目の当たりにする壮大な光景をまだ知らないのであった…

朝の5時半に起き、転送魔法(長距離バス)が出ている場所へ
向かっていた場所とバス停が違って焦りましたがなんとか15分前にバス停に到着。

この先こんなミスでいつか乗り遅れるだろうな…

到着したもののバス停にモン・サン・ミシェル行きのバスが見当たらず出発の時間になってもバスが来ない。
4分遅れの7時8分にバス到着。待っていた人が一通り乗ったと思ったら
到着してから2分で再出発には驚きました。

今回使ったのがFLIXBUS

FLIXBUS

ヨーロッパ大陸全体を網羅する転送魔法(長距離バス)会社。
こちらのページで地図から街を選択してその街から出ているつぎの街だけが表示されるのでルートを決めるのも簡単。
グレートブリテンで使っていたmega busほどの安さはないにしてもまあまな安さで移動できるので今後もこの会社を頻繁に使っていくことになりそう

道中は4時間ひたすら寝ました。起きるとそこは農村地帯エリアでした。
さらにひたはしること1時間、見えてきましたあのシルエット!

到着したのはモン・サ・ミシェルから歩け40分ほどの大型駐車場。
歩こうかと考えていたのですが無料の送迎バスが出ていたので乗り16分
モン・サン・ミシェルに到着!

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モン・サン・ミシェル修道院

708年にアヴランシュの司教
オーベルが大天使を奉る聖堂をモン・トンブといわれる岩山に建てたのが始まり。モンとは岩山という意味
以来重要な巡礼の地になり、10世紀にはベネディクト会の僧が修道院に住み始め村が下に向かって発展していき、14世紀になると村の規模は海岸に至る規模になった。
その後ブリテンとの100年戦争の際にも不落の強固さを見せたモン・サン・ミシェル は軍事建築物の一つとして見なされるようになった。ブリテンのあらゆる攻撃に持ちこたえた防壁や要塞のつくりによってこの場所はフランスの誇りを象徴する場所になった。
フランス革命で修道会が離散した後は監獄として使われたこともあった。

そうじゃな、潮の満ち引きは季節や満月かそうでないかなどに関係し、今の時期は干潮と満潮の差が大きくなく一日を通して水が周りに来ることはないようじゃな
オールドマン

門から修道院に続くメインロードはレストラン、土産物、ホテルが軒を連ねています。

 

メインロードから城壁の上に上がることができ、こちららからも修道院へ上がれる細い路が城壁から建物を縫って続いています。

メインロードを上がり聖堂入り口に到着、中に入ろうとすると門番のNPCに

今あなたが背負っているバックを装備したままだと入れない。
坂を下ったところのあるメゾン⬜⬜⬜⬜に預けて来るといい。

と言われ入るのを拒否されました。
道を下りメゾン⬜⬜⬜⬜を探していたのですが見当たらず名前を失念したため諦め、街の中腹にあった芝生の木陰にバックパック(大)を隠くして行くことにしました。

そうこうしていると来た頃は立ち込めていた曇り空が晴れ青空が見えてきました。
この期を逃す手はない!と思い街を下り、城壁外側の砂浜から写真を撮りながら城壁の外側を一周して見ることにしました。

裏手に行くと小さな小屋が!こういう発見があるから気ままな一人旅は楽しいんですよねー!後で調べて見るとこの小屋は
Chapelle Saint-Aubertというチャペルでした。扉には鍵がかかっていて中には入れませんでした。

満足したので街を上り修道院に入ることにしました。入場料は10€でした。

はい、こちらになります。これでヨーロッパ大陸をシェンゲン協定の加盟国の国境を自由に行き来できるようになります。貴方に大天使ミカエルのご加護があらんことを。

 

Rii2は冒険者通行証を手に入れた!

 

この協会は大天使ミカエルを祀る修道院で、モンサンミッシェルの語源になっているミッシェルとはミカエルの事だそうです。
街のてっぺんの鐘楼のさらに上にミカエルの像が付いています。
このミカエル、剣と秤を手にしている姿が一般的で竜(西洋では悪魔の象徴)を打ち倒した者として有名

 

教会内は思いのほか簡素な作りだなと思いました。

 

修道院の内部も狭い通路があったりと非常に見応えがありました。

長くなったので今回はこの辺りで

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